猪岡村(読み)いのおかむら

日本歴史地名大系 「猪岡村」の解説

猪岡村
いのおかむら

[現在地名]一関市厳美町げんびちよう

東流する磐井いわい川南岸にあり、北は五串いつくし村。産女うぶすめ川・小猪岡こいのおか川などが北東流し磐井川に注ぐ。井岡いのおかとも記される。応永七年(一四〇〇)「岩井郡猪岡村一宇」が猪岡丹後守に葛西氏から宛行われており(同年八月七日「満信宛行状」宮城猪岡文書)、以後猪岡氏の本領となったらしい。永禄三年(一五六〇)七月一一日の葛西晴信宛行状(同文書)では、猪岡又太郎は磐井郡内山目やまのめ村・前堀まえぼり村、中尊寺村(現西磐井郡平泉町)旗頭と認められ、馬上五〇騎・与力一〇〇人・弓三〇人・鑓二〇人を付けられた。また平泉村(現同上)内三千刈、黒沢くろさわ村内三千刈の地を加増されている。猪岡氏は磐井川と小猪岡川合流点近くの大森おおもり館主とされる。


猪岡村
いのおかむら

[現在地名]横手市猪岡

北は赤川あかがわ村に接し、大森おおもり街道が村の北方を東西によぎり、さら川が大戸おおと川に注ぐ。「奥羽永慶軍記」の「原田大膳乗取岩崎城事」に、文禄四年(一五九五)小野寺義道が最上勢に対するため「岩崎加勢ノ催促(中略)猪岡・猿田・境等ニ触ラレケリ」とある。慶長八年(一六〇三)一〇月、旧仙北せんぼく浪人が佐竹義重居住の六郷ろくごう城襲撃の際、猪野岡小太郎の名がみえ(柞山峯之嵐)、「雪の出羽路」に「猪野岡邑に古館めける処ありといふ人あり。小野寺家に猪野岡市右衛門某といふ勇士ありし、その武士や住たらん処か」とある。現在字水上みずかみに八十郎屋敷と称する館跡があり、堀や土塁の跡らしいものがみられるが、いつ頃のものか不明(横手郷土史資料)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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