日本大百科全書(ニッポニカ) 「一関藩」の意味・わかりやすい解説
一関藩
いちのせきはん
江戸時代、陸奥(むつ)国一関(岩手県一関市)に居館を構え、西磐井(にしいわい)、東磐井、栗原(くりはら)郡37か村3万石を領有した仙台藩の支藩。領主田村氏は、仙台藩2代伊達忠宗(だてただむね)の三男宗良(むねよし)が旧三春(みはる)領主田村氏の名跡を継いだもので、1660年(万治3)名取郡岩沼(宮城県岩沼市)で3万石を分知され大名格に列せられた。その子建顕(たつあき)のとき、伊達騒動で改易となった伊達宗勝にかわり、1681年(天和1)一関に移封され翌年一関領が成立した。以後、誠顕(のぶあき)、村顕、村隆、村資(むらすけ)、宗顕、邦顕、邦行、通顕(みちあき)、邦栄(くによし)の10代にわたり在封し明治維新に至った。石高は本藩から分知されたもので、政策上でも本藩に準ずることが多かった。建顕のとき、刃傷(にんじょう)の罪に問われた浅野内匠頭(たくみのかみ)を預かった。藩学教成館。廃藩後、一関県、水沢県、磐井県を経て岩手県に編入された。
[難波信雄]