日本歴史地名大系 「猪鹿狼寺」の解説 猪鹿狼寺いからじ 大分県:直入郡久住町桐迫村猪鹿狼寺[現在地名]久住町久住字建宮(たてみや)にある。天台宗。久住山と号し、本尊十一面観音。延暦二四年(八〇五)最澄の創建と伝え、大和山慈尊院と号し久住山の南西中腹にあった。文治二年(一一八六)源頼朝が富士の巻狩に先立って、梶原景高らを阿蘇大宮司のもとへ遣わし狩の作法を学ばせた。その折、殺生禁断の久住山を演習地としたため、これを悔い慈尊院で畜類供養を行わせ、久住山猪鹿狼寺と改称させたという。久住嶽(くじゆうだけ)大明神・平摩(へいま)大明神の社僧を兼ね、最盛期には一六坊(一説に五坊)を数えたが、豊薩合戦の兵火にあい本堂を残すのみとなり衰微した。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報