猿倉城跡(読み)さるくらじようあと

日本歴史地名大系 「猿倉城跡」の解説

猿倉城跡
さるくらじようあと

[現在地名]大沢野町舟倉

猿倉山の山上に築かれた城跡である。北方には直線距離で一・八キロを隔てて栂尾とがお城跡が存在し、両城はともに越中飛騨口に位置し、飛騨街道を押える交通の要衝である。山の周囲は急斜面で、とくに神通川に面した側は崖となった要害である。「三州志」によると、元亀二年(一五七一)飛騨の塩屋筑前守秋貞が越中へ出兵し、栂尾城・猿倉城を新築して拠ったという。秋貞はその後、福沢ふくさわ(現大山町か)今泉いまいずみ(現富山市)を攻め落したうえ、岩木いわきにも別の砦を築き城尾じようのお(現八尾町)を攻めたという。秋貞による猿倉築城を示す史料として、同年四月二三日付の長尾景直書状(歴代古案)に「仍而一昨今夜塩屋筑前守下山ヘ罷退、則昨夜中猿倉之地ヘ取登、飛州之者共引出、普請半候」と記されている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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