猿毛村(読み)さるげむら

日本歴史地名大系 「猿毛村」の解説

猿毛村
さるげむら

[現在地名]加茂市狭口せばぐち 猿毛

狭口村の南東、加茂川中流右岸に位置し、上流七谷ななたに郷の黒水くろみず村。文禄四年(一五九五)の猿毛村神明村検地帳(新発田市立図書館蔵)によると、二ヵ村合計田畠屋敷とも五町七反余で分米六六石六斗余。「神明村」については不明。慶長三年(一五九八)新発田藩領となり、当時の御領内高付帳(新発田市史資料)にも「さるけ村・神明村」と並記され、七六石六斗余。同一七年の御蔵納同払方帳(同書)に猿毛村(二四石二斗余)がみえ、藩主蔵入地があった。同一八年の加茂町仁兵衛による草水普請願書(真柄慎平氏蔵)によると、当時、猿毛村内から草水(石油)が出ている。


猿毛村
さるげむら

[現在地名]柿崎町猿毛

東は城腰じようのこし村、南は中山なかやま村と境を接する。猿毛御林とよばれる五六町歩の雑木林がある。北東じよう山があり、猿毛城跡が残る。当村は猿毛城の城下村であった。文禄(一五九二―九六)頃の頸城郡絵図に「柿崎分猿毛村 下」とみえ、本納五四石二斗五合・縄高一一〇石三斗五升七合、家八軒・二二人とある。正保国絵図に高一七九石余とある。天和三年郷帳によれば高一九〇石三斗余、同所新田一五石八斗余。天和検地の内訳は文化五年(一八〇八)の村明細帳(国立史料館蔵)によれば、田方が上田二町九反余・中田六町五反余・下田三町五反余・下々田三畝余。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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