日本歴史地名大系 「城下村」の解説 城下村しろしたむら 静岡県:周智郡森町城下村[現在地名]森町城下天宮(あめのみや)村の北、太田(おおた)川流域にあり、同川右岸を秋葉街道が通る。周知(すち)郡に属する。村名は天方(あまがた)城のある山の北西麓に立地することからついたという(遠江国風土記伝)。慶長九年(一六〇四)の山野之庄天方郷御検地城下水帳(明治三年写、藤江家文書)には本田高九町六反余・二二四筆、うち大鳥居(おおどりい)村蔵雲(ぞううん)寺(現蔵雲院)領は一反余・七筆とある。寛永二一年(一六四四)の掛川領三万石郷村高帳では高一一八石余。以後掛川藩領として続き、正保郷帳では高一二二石余、うち田方九〇石余・畑二八石余・蔵雲寺領四石。 城下村しろしたむら 愛知県:豊橋市城下村[現在地名]豊橋市城下町赤沢(あかさわ)村の西に続く村。東観音寺古記録(東観音寺文書)に「田原表にも其(戸田宗光田原築城)以前畔田遠江守と申仁居住有之候処、拙寺方田原畔田殿よりと申寄附田御座候覚書物有之、赤沢畔田殿よりと申覚書も有之、寛正二年本堂棟札に畔田遠江守、同弟修理亮と申書付も有之、明応より三十年以前と存候、云々」と伝えており、この畔田氏の居城が当村にあったとみられている。畔田氏の居館は後年の海岸浸食によって崩壊し、今はその一部を残して海中に没した。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by