すべて 

玉来村(読み)たまらいむら

日本歴史地名大系 「玉来村」の解説

玉来村
たまらいむら

[現在地名]竹田市玉来

おか城下の西にあたり、肥後に通ずる往還に沿う交通の要衝で、玉来町ともよばれ、玉来組の主村であった。古くからの街村で猫原ねこばるとよばれ、正安二年(一三〇〇)駅が置かれたという。中世末に志賀親次が岡城に入った頃、ほん町・しん町・よこ町の三町ができ、交通の要地として栄えた。文禄三年(一五九四)中川氏が岡に入封、城下町づくりに際し、猫原の民家五四戸を城下に移したという。正保郷帳では矢倉やぐら郷に属し、田方三七石余・畑方一四九石余で、日損所と注記される。弘化物成帳では玉来組のうち、村位は上、免七ツ七分、田五五石余(四町五反余)・畑一二一石余(一六町四反余)・屋敷二〇石余(二町余)で、開田はほとんどなく、開畑七斗余(一町一反余)がある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

すべて 

日本の株式の水準を示す、東京証券取引所第1部225銘柄の平均株価。単位は円。構成銘柄は時価総額の分布の変化などにより、適宜入れ替えられている。現在の形になったのは1985年5月からである。ダウ・ジョー...

日経平均株価の用語解説を読む