玉植町(読み)たまうえちよう

日本歴史地名大系 「玉植町」の解説

玉植町
たまうえちよう

中京区衣棚通丸太町下ル

南北に通る衣棚ころものたな通を挟む両側町で、北を丸太町まるたまち(旧春日小路)、南を竹屋町たけやまち(旧大炊御門大路)東西に通る。

平安京の条坊では、左京二条三坊一保七町の中央部。

明治二年(一八六九)八月、玉屋たまや町と、金植かねうえ町が合併し、玉植町となった。

玉屋町は、寛永一四年(一六三七)洛中絵図に「玉屋町」とあり、以降変化はない。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

中国のゴビ砂漠などの砂がジェット気流に乗って日本へ飛来したとみられる黄色の砂。西日本に多く,九州西岸では年間 10日ぐらい,東岸では2日ぐらい降る。大陸砂漠の砂嵐の盛んな春に多いが,まれに冬にも起る。...

黄砂の用語解説を読む