玉植町(読み)たまうえちよう

日本歴史地名大系 「玉植町」の解説

玉植町
たまうえちよう

中京区衣棚通丸太町下ル

南北に通る衣棚ころものたな通を挟む両側町で、北を丸太町まるたまち(旧春日小路)、南を竹屋町たけやまち(旧大炊御門大路)東西に通る。

平安京の条坊では、左京二条三坊一保七町の中央部。

明治二年(一八六九)八月、玉屋たまや町と、金植かねうえ町が合併し、玉植町となった。

玉屋町は、寛永一四年(一六三七)洛中絵図に「玉屋町」とあり、以降変化はない。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

[名](スル)二つ以上のものが並び立つこと。「立候補者が―する」「―政権」[類語]両立・併存・同居・共存・並立・鼎立ていりつ...

連立の用語解説を読む