玉椿憲太郎(読み)タマツバキ ケンタロウ

20世紀日本人名事典 「玉椿憲太郎」の解説

玉椿 憲太郎
タマツバキ ケンタロウ

明治・大正期の力士(関脇)



生年
明治16(1883)年11月10日

没年
昭和3(1928)年9月19日

出生地
富山県中新川郡下条村

本名
森野 健治郎

別名
年寄名=白玉

経歴
明治29年雷門に入門、19歳で幕内昇進。30年1月初土俵。36年5月新入幕。159センチと小兵でありながら相手の胸に頭をつけてしぶとく食い下がる相撲で「ダニ」の異名をとり、関脇4場所、小結7場所務めた。大正5年1月引退後は年寄を務めると同時に目白に相撲道場をつくり、一般の学生や青少年を指導した。幕内在位26場所、80勝79敗33分16預。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「玉椿憲太郎」の解説

玉椿憲太郎 たまつばき-けんたろう

1883-1928 明治-大正時代の力士。
明治16年11月10日生まれ。29年雷部屋に入門。36年入幕。身長159cmの小柄ながらしぶとく食いさがる相撲で「ダニ」とよばれた。最高位は関脇。大正5年引退後,早大,拓殖大の相撲師範をつとめた。昭和3年9月19日死去。46歳。富山県出身。本名は森野健次郎。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

今日のキーワード

プラチナキャリア

年齢を問わず、多様なキャリア形成で活躍する働き方。企業には専門人材の育成支援やリスキリング(学び直し)の機会提供、女性活躍推進や従業員と役員の接点拡大などが求められる。人材の確保につながり、従業員を...

プラチナキャリアの用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android