玖島村(読み)くじまむら

日本歴史地名大系 「玖島村」の解説

玖島村
くじまむら

[現在地名]佐伯町玖島

大峯おおみね(一〇三九・八メートル)の東南に位置する。玖島川の最上流域にあたり、村内を多田ただ(現湯来町)吉和よしわ(現吉和村)を越える石見国への往還が通る。中世久島くじま郷の地で、永久三年(一一一五)三月一七日付の親安久島郷公文名譲状(小田文書)が残る。正和四年(一三一五)一二月日付の見阿訴状(同文書)に「故周防之前司御御時」とあり、周防前司藤原親実が厳島社神主になった承久三年(一二二一)頃から当地は厳島社領であったことがわかる。なお当地の旧族小田氏の先祖楢原氏(奈良原とも書き隠岐氏とも関係がある)は代々同郷の公文職(刀禰)を勤めていた(同文書)。現在の字楢原ならはらは同氏ゆかりの地と考えられる。延慶三年(一三一〇)五月七日付の僧良慶屋敷田地売券(同文書)によれば、当地の屋敷一所と田地が直銭二貫文で売却されており、この頃に貨幣経済の浸透していたことがうかがえる。貞和六年(一三五〇)正月二二日付の文書に地頭として親景・親房の名がみえる(同文書)

天文一〇年(一五四一)厳島社神主藤原家の断絶後は大内氏陶氏の支配地となった。同二一年一二月七日付久島郷所当注文(同文書)は「御神領山里久嶋郷」と記し、久島郷は一〇〇貫文の地で、うち刀禰給分二貫五〇〇文をはじめ八幡領祭田・大歳之御神領・慈恩じおん寺領東禅とうぜん寺領など八貫九〇〇文が除かれ、残る九一貫一〇〇文が上納分となっている。小物成として夫料一九貫八〇〇文・段銭一〇貫文・田植牛懸之代一貫文・黄幡銭一貫文のほかに、わかな・山之いも・根いも・盆松・早稲初穂・炭・祝米などがあった。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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