日本歴史地名大系 「玖村」の解説
玖村
くむら
この地は太田川舟運の要衝であり、鎌倉時代には国衙領であった。地名は年未詳三月日付の安芸国衙領注進状(田所文書)に「久村六丁百八十歩」があり、不輸免三丁七反(新宮馬上免・一宮御読経免・惣社免・角振社仁王講免・公廨田・在庁屋敷)と応輸田二丁三反半からなっている。応安六年(一三七三)今川了俊は「勾村地頭職内金子孫太郎入道跡」を
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
この地は太田川舟運の要衝であり、鎌倉時代には国衙領であった。地名は年未詳三月日付の安芸国衙領注進状(田所文書)に「久村六丁百八十歩」があり、不輸免三丁七反(新宮馬上免・一宮御読経免・惣社免・角振社仁王講免・公廨田・在庁屋敷)と応輸田二丁三反半からなっている。応安六年(一三七三)今川了俊は「勾村地頭職内金子孫太郎入道跡」を
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報