玖波宿(読み)くばじゆく

日本歴史地名大系 「玖波宿」の解説

玖波宿
くばじゆく

[現在地名]大竹市玖波町

近世山陽道の安芸国最終駅で、当地から木野この川の渡を経て周防国関戸せきど宿(現山口県岩国市)に至る。寛永八年(一六三一)二月一日付の領内宿駅駄賃の定書(「済美録」所収)に「久波」の宿駅名がみえる。享和二年(一八〇二)尾張の商人菱屋平七の「筑紫紀行」には、緒方おがた(現小方)から「かくて半里計にして玖波の宿に至る、人家五百軒計、宿屋おほく茶屋あり、宿の出口より聊づゝ坂のあるをのぼり下して浜辺出づ」とみえる。「国郡志下調郡辻書出帳」は「駅舎海ニ臨ミ、町内家数三百七拾軒、此内御通行御下宿御用宿相成候分百弐拾五軒、表町長サ五町弐拾間、御本陣町中央より西ニ有」と記し、駅馬一〇疋・駕籠一〇を備えていた。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報