玖珂郷
くがごう
「和名抄」高山寺本に「玖珂」と記し、訓はない。刊本(慶安元年)に「クカ」と仮名を付す。
養老五年(七二一)熊毛郡の東北部を割いて新しく玖珂郡が設けられたが(続日本紀)、郡家は玖珂郷に置かれたと思われる。近世の玖珂本郷はその遺名とみられる。西に隣接する「柞原郷」にわたる一帯は山陽道と島田川上流とが接する所で、盆地を形成し、玖珂郷内であったと考えられる現玖珂町玖珂の瀬田・久門給は、柞原郷内と考えられる現周東町上久原の久宗・久原・久田と同下久原の千束とともに条里制の遺構が認められ、開発の古さを物語る。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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