玖珂本郷
くがほんごう
[現在地名]玖珂町
村内中央を山陽道が東西に通る。東西一里二六町、南北一里半にまたがる広域の村で、山間の平地。岩国藩領での大村である。現玖珂町は玖珂本郷一村で成立する。
山陽道の宿駅として、また市場町として発達した村であるが、その成立は古く、郷名としての初見は、延喜八年(九〇八)の周防国玖珂郡玖珂郷戸籍(石山寺文書)で、「和名抄」にも記される「玖珂郷」に由来する。中世には、後白河法皇の長講堂(跡地は現京都市下京区)領の一つである玖珂庄の中心地としてさかえた。村名は、慶長五年(一六〇〇)の検地帳以下みな玖珂本郷と記す。
小名には、欽明寺・野口・栗屋谷・柳井田・瀬田・谷津・千足・道仏・臼田・打上り・公文給・唐臼などがあり、刀禰七人がこれを管理していた(玖珂郡志)。また、山陽道に沿って市があり、本郷市・新町市・阿山市と三市に分れ、年寄三人、目代三人を置いていたが、慶応二年(一八六六)九月、市を村へ合併して刀禰兼目代二名を置いた。明治三年(一八七〇)一月、再び地方と市とを分離したが、同五年一二月には再度市と村とを合併。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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世界大百科事典(旧版)内の玖珂本郷の言及
【玖珂[町]】より
…中世は玖珂荘といい,京都の長講堂領の荘園であった。近世には玖珂本郷と称し,萩藩岩国領に属した。中心集落は島田川の支流水無川扇状地の扇央付近に山陽道沿いに細長く連なり,宿駅,市場町として発達した。…
※「玖珂本郷」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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