日本歴史地名大系 「瑞竜村」の解説 瑞竜村ずいりゆうむら 茨城県:常陸太田市瑞竜村[現在地名]常陸太田市瑞竜町国見(くにみ)山の南東に展開する丘陵と台地地帯と里川沖積地からなる。太田村より瑞竜山や棚倉(たなぐら)(現福島県)に至る街道沿いに集落が分布。東は里野宮(さとのみや)村。明応年間(一四九二―一五〇一)の「当乱相違地」(秋田藩採集文書)に「すい里う寺家」とあり、天正二〇年(一五九二)八月二八日の佐竹義宣寄進状(秋田県立図書館蔵)にも「佐都之西郡大田之内沢山并すい里う高蔵」とある。寛文三年(一六六三)の開基帳(彰考館蔵)には「随留村」と記され、「水府志料」には「寛文中、水戸義公、武田万千代君の墓を修せられし時、白蛇を得たる事」によって、延宝七年(一六七九)に瑞竜村と改字したとある。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by