璃瑠瀾村(読み)りるらんむら

日本歴史地名大系 「璃瑠瀾村」の解説

璃瑠瀾村
りるらんむら

[現在地名]厚岸郡厚岸町末広まびろ登喜岱ときたい

明治初年(同二年八月から同六年の間)から明治三三年(一九〇〇)まで存続した厚岸郡の村。末広村の東、厚岸半島の南端に位置し、南は太平洋に面する。全域が丘陵地で北に向かって傾斜し、海岸には断崖が屹立する。近世にはアッケシ場所のうち。明治初年リルランなどの地を包含して成立した。村名は初めリルラン村と記され、明治八年五月「璃瑠村」と漢字表記に改められた(開拓使根室支庁布達全書)。「釧路国地誌提要」には理流瀾村とみえ、明治六年の戸口は平民一戸・三人(男二・女一)同年一一月五日、厚岸を出発した榎本武揚はリルランの小休所で昼食をとり、その後山坂を越えて浜中はまなか会所(現浜中町)へ向かった(北海道巡廻日記)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

菊の節供,九月節供,重九 (ちょうく) ともいう。五節供の一つ。旧暦9月9日の節供で,奈良時代より,宮中では天皇が紫宸殿に出御し,群臣に宴を賜わり詩歌文章をつくらせる菊花の宴が行われ,年中行事となった...

重陽の用語解説を読む