北海道東部、釧路(くしろ)総合振興局管内にある町。1900年(明治33)町制施行。町名はアイヌ語でカキ(牡蠣(かき))のある所を意味する「アッケシイ」に由来。北部は台地、南部は厚岸湾、厚岸湖、半島部からなる。厚岸湾と厚岸湖は幅約500メートルの水路でつながり、水路に架かる厚岸大橋で本土部と半島部が連絡する。国道44号(釧路―根室(ねむろ))、JR根室本線が通じる。寛永(かんえい)年間(1624~1644)松前藩が厚岸場所を開設し、1804年(文化1)半島先端部に江戸幕府が蝦夷三官寺(えぞさんかんじ)の一つ国泰寺(こくたいじ)を建立。1873年(明治6)ごろから国泰寺付近に、また、1917年(大正6)鉄道開通で本土側に、市街地が発達した。基幹産業はサケ・マス流し網、コンブ採取、カキ養殖などの水産業と内陸部の酪農。厚岸湖に別寒辺牛(べかんべうし)川が流入する湖北地区は厚岸湖・別寒辺牛湿原としてラムサール条約の登録湿地。この登録湿地と、原生花園あやめヶ原、愛冠(あいかっぷ)岬などの景勝地がある半島部海岸は、厚岸霧多布昆布森(きりたっぷこんぶもり)国定公園の一部となっている。厚岸湾内の小島には夏季コンブ漁のため漁民が移住する。国泰寺境内は国泰寺跡として国指定史跡。寺に残る『日鑑記(にっかんき)』を含む蝦夷三官寺国泰寺関係資料は国指定重要文化財。境内に町立厚岸郷土館がある。面積739.27平方キロメートル(一部境界未定)、人口8892(2020)。
[古川史郎]
『『厚岸町史』(1975・厚岸町)』▽『『新厚岸町史』通史編2巻・資料編4巻(2003~2020・厚岸町)』
北海道南東部釧路支庁厚岸郡の町。人口1万0630(2010)。根釧台地の南部を占め,太平洋に臨む。海岸線の概して単調な東部太平洋にあって厚岸湾は古くから泊地として利用され,1799年(寛政11)東蝦夷地直轄に際し江戸幕府はその基地に選び会所を設置した。また1804年(文化1)蝦夷三官寺の一つ国泰寺を建立,アイヌ人の慰撫に当てた。厚岸湾の奥には塩水の厚岸湖があり,その間に厚岸大橋がかかり,市街地は北岸に真竜地区,南岸に厚岸地区が発達する。産業の中心は漁業で,沿岸・沖合漁業の基地であり,厚岸湖ではカキなどの養殖が行われ,水産加工も盛ん。台地上の太田は明治初期屯田兵村の設置されたところであるが,現在は酪農業の中心地となっている。海岸美に富み,周辺は道立自然公園に指定されている。JR根室本線が通じる。
執筆者:岡本 次郎
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