瓜生山城跡(読み)うりゆうざんじようあと

日本歴史地名大系 「瓜生山城跡」の解説

瓜生山城跡
うりゆうざんじようあと

[現在地名]左京区北白川清沢口町

一乗寺いちじようじ村に境してそびえる瓜生山に築かれた城。勝軍地蔵山しようぐんじぞうさん城・北白川城ともいう。中尾なかお城(如意によいたけ城)と並んで天文永禄(一五三二―七〇)の内乱期には細川三好松永の軍と将軍足利義晴・義輝父子の軍が戦った(公卿補任)(→中尾城

瓜生山に城が築かれたのは大永七年(一五二七)、「厳助往年記」に管領細川高国が築城したとみえるが、享禄四年(一五三一)六月六日の高国の敗北とともに炎上した(二水記)。その後天文一六年(一五四七)三月三〇日、将軍義輝父子が細川晴元を討つため、高国の跡目を称する氏綱の「北白川城」に入ったが、同年七月一二日には相国しようこく(現上京区)に陣どった晴元軍に攻められ、一九日に落城炎上した(公卿補任)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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