生出村(読み)おいでむら

日本歴史地名大系 「生出村」の解説

生出村
おいでむら

[現在地名]大利根町生出

阿佐間あざま村の西に位置し、北を古利根川が流れ、川沿いに堤防がある。「いで」は井堰用水路をさす言葉で、昔、利根川から引入れた用水路の跡と思われる井筋がある(大利根町地名考)松永まつなが新田に飛地がある(郡村誌)。田園簿によれば田高一九石余・畑高一九八石余、幕府領。寛文四年(一六六四)の羽生中高辻之覚(松村家文書)によると承応年間(一六五二―五五)の検地高一七八石余。元禄郷帳では一五四石余、国立史料館本元禄郷帳では旗本万年領で、幕末まで同家領として続いたと考えられる(天保三年「羽生領御普請組合村高地頭性名帳」栗原家文書、旧旗下相知行調など)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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