生田目村(読み)なばためむら

日本歴史地名大系 「生田目村」の解説

生田目村
なばためむら

[現在地名]益子町生田目

小貝(こかい)川東岸の丘陵裾にあり、対岸は東田井(ひがしだい)村。北東は益子村。南は前沢(まえざわ)村。中央を益子村から長堤(ながつつみ)村への道が通り、西側が水田、東側が山地で雨量が少ないため生田目池など溜池がある。永禄七年(一五六四)八月一三日の芳賀高定宛行状写(秋田藩家蔵文書)の宛名に「生田目□□殿」とあり、真岡(もおか)の芳賀城に属し、坂戸(さかど)郷(現茨城県西茨城郡岩瀬町)内の一千疋を与えられた生田目某がいたことが知られ、当地名を名乗る武士と思われる。

慶長七年(一六〇二)黒羽藩に加増された六千石のうちに「宇都宮之内真壁郡之内」の生田目村がある。しかし実質的には同藩有力家臣の津田光明院・金丸弥平太(公知衆)に幕府から直接給付された地で、津田分二六七石余、金丸分三二一石余(「黒羽藩領知高書上」宇都宮大学附属図書館蔵)。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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