日本歴史地名大系 「生田目村」の解説
生田目村
なばためむら
[現在地名]益子町生田目
慶長七年(一六〇二)黒羽藩に加増された六千石のうちに「宇都宮之内真壁郡之内」の生田目村がある。しかし実質的には同藩有力家臣の津田光明院・金丸弥平太(公知衆)に幕府から直接給付された地で、津田分二六七石余、金丸分三二一石余(「黒羽藩領知高書上」宇都宮大学附属図書館蔵)。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
慶長七年(一六〇二)黒羽藩に加増された六千石のうちに「宇都宮之内真壁郡之内」の生田目村がある。しかし実質的には同藩有力家臣の津田光明院・金丸弥平太(公知衆)に幕府から直接給付された地で、津田分二六七石余、金丸分三二一石余(「黒羽藩領知高書上」宇都宮大学附属図書館蔵)。
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