日本歴史地名大系 「東田井村」の解説 東田井村ひがしだいむら 栃木県:芳賀郡益子町東田井村[現在地名]益子町東田井南流する小貝(こかい)川西岸にあり、西は南北に連なる小丘陵を境に西田井村(現真岡市)。永徳三年(一三八三)六月二九日の梶原貞景打渡状(塙文書)に「田井郷半分東田井」とみえ、小山義政の乱によって没収された高橋三郎の所領が下地中分され、大内(おおうち)庄内田井(だい)郷の東半分である東田井などが常陸鹿島社領となった。なおその際、田井山(台山)峰の道が境となっている(同日付「梶原貞景代沙弥行恵打渡状」同文書)。至徳二年(一三八五)一二月二〇日の東田井郷百姓足分帳案(鹿島神宮文書)には、御神領方として「さいけ内」「かなや」「てら内」、御公領方として「大内在家」「中の内」「みや内」「おりもと」の地名と弥次郎入道など七人の百姓名がみえる。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by