改訂新版 世界大百科事典 「生糸荷預所事件」の意味・わかりやすい解説
生糸荷預所事件 (きいとにあずかりしょじけん)
1881年に横浜における生糸取引方法の改革を主張する生糸売込問屋らとそれを阻止せんとする外国商館との間で生じた紛争。茂木惣兵衛,原善三郎,渋沢喜作ら横浜生糸売込問屋は,従来外国商館が現物を引き込んで検査,計量を行っていた取引を弊害が多いと批判し,検査,計量を連合生糸荷預所で行う見本品取引に改め,同所を通じて輸出生糸流通を独占的に掌握しようとした。外商は一致して取引を拒否しつつ対抗し,9月下旬から11月中旬まで約2ヵ月にわたり外商への生糸売込みは途絶した。荷預所に対しては政府からの資金援助があり,地方生糸商や生産者も積極的に支援するなど,国民的規模の運動に発展したが,外商側の強硬姿勢の前についに敗れ,荷預所は解散を余儀なくされた。だが,この事件を通じて売込問屋はますます荷主に対する地位を高め,外商の活動を居留地内に封じ込めることにも成功した。
執筆者:石井 寛治
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報