田中 柏陰
タナカ ハクイン
明治〜昭和期の日本画家
- 生年
- 慶応2年4月2日(1866年)
- 没年
- 昭和9(1934)年6月3日
- 出生地
- 駿河国府中(静岡県静岡市)
- 本名
- 田中 啓三郎
- 別名
- 画名=馨,字=叔明,別号=静麓,孤立,柏舎主人,空相居士
- 経歴
- 駿府に生まれ、明治16年京都の田能村直入の門に入り南宗画を修める。33年山口県佐波郡石田村の田中家の婿養子となった。明治末年から大正にかけて全国各地を歴遊、朝鮮、中国を訪れる。京都と防府右田に画塾を設け多くの後進を育成、関西南画壇の大家となり活躍した。田能村竹田、直入と連なる画風を継承、青緑山水など色彩豊かな作品を残した。また竹田系統の鑑定の第一人者としても知られた。昭和9年転地療養先の静岡県興津で没した。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報
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田中柏陰 たなか-はくいん
1866-1934 明治-昭和時代前期の日本画家。
慶応2年生まれ。明治16年京都の田能村直入(たのむら-ちょくにゅう)の門にはいる。関西南画壇の大家で,田能村竹田(ちくでん)系統の鑑定でも知られた。昭和9年6月3日死去。69歳。駿河(するが)(静岡県)出身。本名は啓。
出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例
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