コトバンクはYahoo!辞書と技術提携しています。

田能村直入 たのむら ちょくにゅう

5件 の用語解説(田能村直入の意味・用語解説を検索)

美術人名辞典の解説

田能村直入

南画家。豊後生。字は顧絶、初め小虎と号し、のち直入と称する。田能村竹田に学び、竹田にその才能を認められ養嗣子となる。南宗画学校を開くなど、南画壇の向上に尽力した。明治40年(1907)歿、94才。

出典|(株)思文閣
それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

田能村直入 たのむら-ちょくにゅう

1814-1907 江戸後期-明治時代の日本画家。
文化11年2月15日生まれ。生家は豊後(ぶんご)(大分県)の庄屋。田能村竹田(ちくでん)の養子。明治元年京都にうつり,京都府画学校の設立に参画,14年初代校長。24年南宗画学校をひらき,29年日本南画協会を創立。明治40年1月21日死去。94歳。本姓は三宮。別号に小虎など。作品に「名花十二客」など。

出典|講談社 この辞書の凡例を見る
(C)Kodansha 2015.
書籍版「講談社 日本人名大辞典」をベースに、項目の追加・修正を加えたデジタルコンテンツです。この内容は2015年9月に更新作業を行った時点での情報です。時間の経過に伴い内容が異なっている場合がございます。

朝日日本歴史人物事典の解説

田能村直入

没年:明治40.1.21(1907)
生年:文化11.2.15(1814.4.5)
明治期の南画家。豊後国竹田(大分県竹田市)生まれ。本姓三宮,幼名松太のち伝太。9歳のとき,田能村竹田に入門し,南画と唐詩選を学ぶ。さらに国学,陽明学,武術などを幅広く修学,竹田にその才を愛され,田能村の姓を継いだ。竹田没後,南宗画で家を興し,堺,大坂に住む。明治1(1868)年京都に移り,以後名を小虎,号を直入とした。同13年京都府画学校設立とともに,翌年その初代摂理(校長)となり,24年には自ら自宅に南宗画学校を開いた。近代の南画は京都で継続的発展をみたが,直入はその明治期の中心的人物であった。

(佐藤道信)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

田能村直入
たのむらちょくにゅう

[生]文化11(1814).豊後
[没]1907.1.21. 京都
江戸時代末期~明治初期の日本画家。旧姓は三宮。本名は癡。号は直入山樵,小虎山人,笠翁など。9歳で田能村竹田に師事,のち養子となって田能村姓を継ぐ。一時大坂に住み,明治初年に京都へ移住。

本文は出典元の記述の一部を掲載しています。

出典|ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
Copyright (c) 2014 Britannica Japan Co., Ltd. All rights reserved.
それぞれの記述は執筆時点でのもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

田能村直入
たのむらちょくにゅう
(1814―1907)

幕末から明治の南画家。名は癡(ち)、字(あざな)は顧絶(こぜつ)、号は初め小虎(しょうこ)、のち直入と改める。別に笠翁(りゅうおう)、青椀(せいわん)、飯茶庵(はんさあん)主人などがある。豊後(ぶんご)(大分県)竹田の庄屋(しょうや)三宮氏に生まれ、9歳で田能村竹田(ちくでん)に画(え)を学ぶが、直入が田能村姓を冒した理由については不明。学問は初め郷里の角田九華(つのだきゅうか)に受け、のち大坂に出て篠崎小竹(しのざきしょうちく)に学ぶ。明治初年京都に移り、規格にはまった南画を描いていたが、公立の美術学校設立を首唱して1878年(明治11)建議書を府庁に提出。80年京都府画学校が開校されるや摂理兼画学講談担当となった。84年辞して、別に南宗画学校を創立。96年富岡鉄斎らと日本南画協会をおこす。博覧会、共進会の審査員となり、また多くの賞牌(しょうはい)を受けるなど、明治南画壇の長老的存在であった。[星野 鈴]

出典|小学館 日本大百科全書(ニッポニカ) この辞書の凡例を見る
(C)Shogakukan Inc.
それぞれの解説は執筆時点のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

田能村直入の関連キーワード大分県竹田市会々大分県竹田市今大分県竹田市枝大分県竹田市太田大分県竹田市田井大分県竹田市竹田大分県竹田市竹田町大分県竹田市次倉大分県竹田市戸上大分県竹田市米納

今日のキーワード

ワールド・ベースボール・クラシック

メジャーリーグ機構、メジャーリーグ選手会が音頭をとってスタートした野球の世界一決定戦。2006年の第1回は16カ国が参加。4組に分かれて1次リーグを行い、各上位2カ国が米国に移って2リーグの2次予選、...

続きを読む

コトバンク for iPhone

田能村直入の関連情報