江戸後期の文人画家。名は孝憲,字は君彝(くんい),通称行蔵。竹田のほか九畳外史などと号した。豊後国竹田村(現,大分県竹田市)に生まれる。父は碩庵。代々岡藩中川家に仕える藩医の家柄。少年のころより素読,習字を始め,やがて医業を修めるようになり家の職を継ぐ。1798年(寛政10)22歳のとき藩校由学館に出仕,医業を廃して学問専攻を藩侯から命ぜられ,のちには頭取となった。当時由学館総裁であった唐橋君山のもとで《豊後国誌》の編纂が始まるとその御用掛となり,翌年には君山に従って領内を巡視する。この国誌編纂の仕事にまる3年を費すが,その間,1801年(享和1)には国誌校閲のため江戸へ上り,その途次木村兼葭堂を,また江戸では谷文晁を尋ねた。国誌編纂のため領内をくまなく巡視することが竹田に領民の姿を正しく認識させることになったのか,11年(文化8),城下に一揆が勃発するや,革新的な建言書を藩に提出し,百姓に対する不当な扱いを批判した。翌年ふたたび一揆が起きるや2度目の建言書を提出,両度とも受け入れられず,これを機に13年職を辞し,一文人墨客の徒として自由の境涯を歩む。以後,九州と京坂の間をつねに旅し,頼山陽,浦上玉堂・春琴父子,篠崎小竹,小石元瑞ら,当代一流の文人たちと交流する。絵も日本において初めて,中国文人画の正統を学ぶことに努め,関西の文人画家を代表する存在となった。代表作に,1829年(文政12)頼山陽が帰郷するのを小竹,坂山桐陰と送り,伊丹の稲川に舟を浮かべて遊んだ情景を写したものという《稲川舟遊図》などがあげられる。《船窓小戯帖》《亦復一楽帖》といった画帖の小品にも瀟洒(しようしや)な佳品が多く,《山中人饒舌》などの画論,画人,文人との交流を記した《竹田荘師友画録》のほか,多数の著書もある。夭逝した高橋草坪は竹田の高弟の一人。
執筆者:佐々木 丞平
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(星野鈴)
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江戸後期の南画家。名は孝憲、字(あざな)は君彝(くんい)、通称を行蔵といい、竹田、九畳外史(くじょうがいし)など多くの号をもつ。豊後(ぶんご)(大分県)竹田の岡藩侍医の家に生まれる。儒学に志し、藩校由学館(ゆうがくかん)に学び、唐橋君山(からはしくんざん)や熊本の高本紫溟(たかもとしめい)、村井琴山(きんざん)、京都の村瀬栲亭(こうてい)にも師事した。藩校の頭取にまで進んだが、1811、12年(文化8、9)の岡藩の大一揆(いっき)に際し二度にわたって藩政改革の建言書を提出するもいれられず、ために13年辞職して、以後文人墨客の徒として自由な生活に入った。画(え)は初め郷里の渡辺蓬島(ほうとう)や淵野真斎(ふちのしんさい)に学び、江戸に出たとき谷文晁(たにぶんちょう)に就いたりもしたが、ほとんど独学のうちに独自の様式を形成していった。辞職後はしばしば京坂地方に遊び、頼山陽(らいさんよう)、篠崎小竹(しのざきしょうちく)、浦上春琴(うらかみしゅんきん)、岡田半江(はんこう)、小石元瑞(こいしげんずい)など当時の京坂文墨界の中心人物と交遊。また、南画家浦上玉堂(ぎょくどう)、岡田米山人(べいさんじん)、青木木米(もくべい)から大いに啓発された。画風は柔らかな描線を神経細かく行き届かせた清雅なもので、江戸時代の南画家のなかではもっとも本格的な南宗様式に近い。『亦復一楽帖(またまたいちらくじょう)』『船窓小戯帖(せんそうしょうぎじょう)』など小品に優れた作品がある。また、卓抜した画論『山中人饒舌(さんちゅうじんじょうぜつ)』をはじめ、交友録『竹田荘師友画録(ちくでんそうしゆうがろく)』『填詞図譜(てんしずふ)』など多くの著書を残している。弟子に高橋草坪(そうへい)、帆足杏雨(ほあしきょうう)、田能村直入(ちょくにゅう)がいる。
[星野 鈴]
『佐々木剛三著『日本美術絵画全集21 木米/竹田』(1977・集英社)』
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1777.6.10~1835.8.29
江戸後期の南画家。名は孝憲,字は君彝(くんい)。号は竹田・老画師など多数。豊後国岡藩藩医の家に生まれ,藩校由学館で学び同館の儒員から頭取にまで進んだ。この間,「豊後国志」の編纂に従事したり,地元の画家に画を学び,谷文晁(ぶんちょう)の通信教授もうけた。1811・12年(文化8・9)におきた藩内の農民一揆に際しては,改革を要望する建言書を2度提出するが用いられず,翌年辞表を提出。以後郷里と京坂の間を往来しながら,頼山陽ら文人との交流をもち詩画に専心する生活に入る。繊細で清雅な作品「亦復一楽(またまたいちらく)帖」「船窓小戯冊」(ともに重文)や,「山中人饒舌(じょうぜつ)」「竹田荘師友画録」ほかの著作がある。
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…この書はまた例示の詞が読物としてもよく読まれ,平仄図などは省略して作者別に編集しなおし,さらに箋注を添えたテキストもあるが(《白香詞譜箋》),こうなると実質はもはや詞譜ではない。日本では田能村竹田が《塡詞図譜》を著しているが,これは小令(短編)のみ115調を示している(1805∥文化2)。【村上 哲見】。…
※「田能村竹田」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
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