田中江村
たなかえむら
[現在地名]近江八幡市田中江町
加茂九ヵ村の西にあり、西は江頭村。北は水茎の入江が湾入して、集落は東西に走る朝鮮人街道沿いに発達。古くは田中井と記し、タナカイともよばれた。地内一ノ坪は古代条里の遺称とされる。弘長三年(一二六三)七月二日の馬淵公綱寄進状(長命寺文書)の端裏書に「田中江保内畠弐段」とみえる。中世当地の商人は九里半街道を用いる若狭との通商を独占した五個商人の一に数えられ(享禄二年七月三日「守護奉行人連署奉書案」今堀日吉神社文書)、享禄年間(一五二八―三二)にはこの商権をめぐって保内商人と五個商人との間で争論(九里半争論)が起こっている(神崎郡の→小幡郷・小幡位田)。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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