20世紀日本人名事典 「田中治吾平」の解説 田中 治吾平タナカ ジゴヘイ 大正・昭和期の神道家 生年明治20(1887)年12月26日 没年昭和48(1973)年5月9日 出生地岐阜県揖斐郡 学歴〔年〕神宮皇学館〔明治40年〕卒,東洋大学〔明治45年〕卒 経歴学問と信仰の一致に立つ教育を求めて国教学館を創立し、のち信仰体験を深め、自ら創始した鎮魂斎庭修行によって、鎮魂の霊法を施した。昭和4年新たに霊感を得て無上神道を唱え、教化活動に専念した。著書に「神代之思想」「日本民族の信仰」「無上神道」などがある。 出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報 Sponserd by
デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「田中治吾平」の解説 田中治吾平 たなか-じごへい 1886-1973 大正-昭和時代の神道家。明治19年12月26日生まれ。大正5年東京に国教本院を設立,古神道の布教につとめる。昭和初年無上真道をとなえ,17年練真中学,同高校を創立し校長となる。21年練真道教団を設立。昭和48年5月9日死去。86歳。岐阜県出身。東洋大卒。著作に「鎮魂法の実修」など。 出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例 Sponserd by