田中穂積(読み)タナカ ホヅミ

20世紀日本人名事典 「田中穂積」の解説

田中 穂積
タナカ ホヅミ

明治〜昭和期の経済学者 元・早稲田大学総長



生年
明治9年2月(1876年)

没年
昭和19(1944)年8月22日

出生地
長野県

学歴〔年〕
東京専門学校邦語政治科〔明治29年〕卒

学位〔年〕
法学博士〔明治43年〕

経歴
東京日日新聞を経て、明治34年母校の留学生として欧米に留学し、コロンビア大学からマスター・オブ・アーツの学位を受け、36年帰国。37年から早大で経済学、財政学講義をし、商科科長 商学部長などを歴任し、昭和6年から19年まで総長に就任した。この間の14年には貴族院議員となり、著書に「財政学」「租税論」などがある。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「田中穂積」の解説

田中穂積 たなか-ほづみ

1876-1944 明治-昭和時代前期の経済学者。
明治9年2月17日生まれ。「東京日日新聞」記者をへてアメリカのコロンビア大に留学。明治37年より早大で財政学,経済学を担当。昭和6年総長となり,大学の規模拡大などにつとめた。貴族院議員。昭和19年8月22日死去。69歳。長野県出身。東京専門学校(現早大)卒。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

世界大百科事典(旧版)内の田中穂積の言及

【ワルツ】より

…3拍子系のリズムの伝統が乏しいとされる日本でワルツが急速に受け入れられたことは,1900年代に早くもワルツのリズムによる流行歌が生まれたことに示される。《美しき天然》(田中穂積(1855‐1905)作曲・武島羽衣作詞,1900年ころ),《銀波》(外国曲?,1900年ころ),《ダニューブ河の(さざなみ)》(I.イワノビチの曲に田村貞一が作詞,1902年発表)らがそれで,いずれも感傷的な遅いテンポのワルツである。とりわけ佐世保の海軍軍楽隊長であった田中が作曲した《美しき天然》は,伝統的な旋律構成と西洋的な唱歌形式を合わせたもので,サーカスなどでも使われて日本のワルツの原像をなすものといえるだろう。…

※「田中穂積」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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