朝日日本歴史人物事典 「田中謙助」の解説
田中謙助
生年:文政11(1828)
幕末の薩摩(鹿児島)藩士,尊攘派の志士。同藩士池田家に生まれ,田中氏を継ぐ。藩校造士館訓導を経て江戸藩邸の中小姓,安政6(1859)年11月薩摩藩尊攘派ともいうべき誠(精)忠組に参加した。翌万延1(1860)年1月,水戸藩浪士と提携して井伊直弼暗殺を計画,帰藩して出兵を求めたが藩庁は容れなかった。文久2(1862)年4月,島津久光の率兵上洛に随従し大坂に入る。同23日有馬新七らと共に大坂を脱走し,伏見寺田屋に尊王挙兵を画策,島津久光の中止命令を伝えに来た使者と闘争となり負傷(寺田屋事件)。翌日藩命に従い自刃した。
(井上勲)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報