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田代清治右衛門 たしろ せいじえもん

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

田代清治右衛門 たしろ-せいじえもん

?-1658 江戸時代前期の武士,陶工。
陸奥(むつ)中村藩(福島県)藩士。藩主相馬利胤(としたね)の命で京都の野々村仁清(にんせい)にまなび,師から「清」の字をもらい,清治右衛門と称する。帰郷して中村城下に開窯し,相馬駒焼の基礎をつくった。万治(まんじ)元年死去。初名は源吾右衛門。

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書籍版「講談社 日本人名大辞典」をベースに、項目の追加・修正を加えたデジタルコンテンツです。この内容は2015年9月に更新作業を行った時点での情報です。時間の経過に伴い内容が異なっている場合がございます。

朝日日本歴史人物事典の解説

田代清治右衛門

没年:万治1(1658)
生年:生年不詳
江戸前期の相馬駒焼の創始者。源吾右衛門とも。諱は為教。元和9(1623)年,磐城中村藩(福島県)藩主相馬利胤が将軍の供奉として上洛した折に,御室窯焼の風雅さに感動し,一行75騎の一員であった源吾右衛門に命じ,京都御室窯野々村仁清のもとで修業させた。源吾右衛門は修業ののち,仁清の「清」の字を貰い清治右衛門と改名,帰郷し城下の田町(相馬市中村新町)で開窯したとの伝承がある。開窯は,寛永7(1630)年,慶安1(1648)年など諸説がある。藩の御用窯として,初め仁清風の色絵を焼き,相馬駒焼の名の由来である奔馬の図は2代清治右衛門のときに始まる。現在は15代。

(伊藤嘉章)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
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