日本歴史地名大系 「田利八幡神社」の解説
田利八幡神社
たりはちまんじんじや
[現在地名]三良坂町田利
創建について「芸藩通志」は「明応年間、菅某勧請すといふ、その裔今猶この社の典鑰たり、昔村内赤城主玉串新五左衛門祠官たりし時、百石許の神田あり」と記し、「双三郡誌」は「明徳年中、田利赤城山城主多利五郎時元豊前国宇佐八幡宮を勧請す」と記す。近世には三良坂・
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
創建について「芸藩通志」は「明応年間、菅某勧請すといふ、その裔今猶この社の典鑰たり、昔村内赤城主玉串新五左衛門祠官たりし時、百石許の神田あり」と記し、「双三郡誌」は「明徳年中、田利赤城山城主多利五郎時元豊前国宇佐八幡宮を勧請す」と記す。近世には三良坂・
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その議会の過半数には達しないが、議席数をもっとも多くもつ政党。...