朝日日本歴史人物事典 「田口留兵衛」の解説
田口留兵衛
生年:享和1(1801)
江戸後期の蚕種製造家。陸奥国伊達郡(福島県)梁川村の豪農田口家に生まれる。通称彦太郎,留兵衛を襲名。それまで蚕は清涼育が一般的であったが,田口家では寛政ごろ火を用いる温暖育を試みたという。本格的に温暖育の研究を始めた留兵衛は,天保期(1830~44)に蚕室を改良して炉を設け,桑の枝を燃やして室中を温め,成育に30日余かかっていたのを28日に短縮し得た。同村中村善右衛門考案の蚕当計(ガラス管と水銀を用いた寒暖計)を用いることにより温暖育は安定,農作業との日程調整が可能になり,農業生産力を向上させた。<参考文献>庄司吉之助『近世養蚕業発達史』,加藤勇治郎『温暖育養蚕要訣』
(丸井佳寿子)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報