田口芳五郎(読み)タグチ ヨシゴロウ

20世紀日本人名事典 「田口芳五郎」の解説

田口 芳五郎
タグチ ヨシゴロウ

昭和期のカトリック枢機卿 大阪教区大司教;英知大学初代学長。



生年
明治35(1902)年7月20日

没年
昭和53(1978)年2月23日

出生地
長崎県外海町

別名
洗礼名=パウロ

学歴〔年〕
東京大神学校,ウルバノ大学(ローマ)〔昭和2年〕卒

学位〔年〕
哲学博士(ウルバノ大学)〔大正15年〕,神学博士(ウルバノ大学)〔昭和5年〕,法学博士

経歴
昭和3年ローマのラテラン大聖堂で司祭叙階され、帰国後カトリック中央出版部編集長、出版部長などを経て、13年駐日ローマ教皇使節の秘書に任命される。同時に東京大神学校で、教会法および倫理神学を講じた。16年大阪司教となり、戦時下の教会維持に尽力した。23年大阪聖ヨゼフ布教修道女会を創立。37年より第2バチカン公会議に出席。38年には大阪に聖マリア大聖堂を建設、同年英知大学を開設して初代学長となる。44年大阪教区大司教、48年教皇パウロ6世から枢機卿に任ぜられた。著書に「真理の本源」「聖体の研究」などがある。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「田口芳五郎」の解説

田口芳五郎 たぐち-よしごろう

1902-1978 昭和時代神父
明治35年7月20日生まれ。ローマに留学,司祭となる。駐日ローマ教皇使節の秘書,大阪司教などをつとめ,昭和23年大阪聖ヨゼフ修道女会を創立。38年英知大を開設して初代学長。48年日本人で2人目のカトリック枢機卿(すうききょう)に任じられた。昭和53年2月23日死去。75歳。長崎県出身。洗礼名はパウロ。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

367日誕生日大事典 「田口芳五郎」の解説

田口 芳五郎 (たぐち よしごろう)

生年月日:1902年7月20日
昭和時代のカトリック枢機卿。大阪教区大司教;英知大学学長
1978年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

今日のキーワード

プラチナキャリア

年齢を問わず、多様なキャリア形成で活躍する働き方。企業には専門人材の育成支援やリスキリング(学び直し)の機会提供、女性活躍推進や従業員と役員の接点拡大などが求められる。人材の確保につながり、従業員を...

プラチナキャリアの用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android