日本歴史地名大系 「田名部代官所跡」の解説
田名部代官所跡
たなぶだいかんしよあと
田名部館跡の一郭にある。寛政年間(一七八九―一八〇一)の「邦内郷村志」に「税官所 在于旧館中、西南望滄海絶勝之官舎也」と記す。藩政期末の北奥路程記(岩手県盛岡市中央公民館蔵)の絵図では現
雑書の寛永二一年(一六四四)八月二一日条によれば田名部代官から猟虎皮二枚が城中に差上げられている。慶安五年(一六五二)には田名部代官穴沢采女・七戸勘之丞より田名部浦着岸の商船の紫根取引について申請がなされている(同書同年七月一六日条)。設置の年代は明らかではないが、「原始謾筆風土年表」の延享三年(一七四六)の項に「田名部一令局となり、令官黒沢新六、菊地宇兵衛、此頃迄の令局は館坂下向右に有しを当年ならん登せ移、其後安永に至り新たに巍局に造営たり、柳此海辺を五千斛と称し、令局を置始しをるに、元和四年は二代の令官と記し」とあり、田名部が藩の借上となる元和三年(一六一七)頃にさかのぼろう。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報