日本歴史地名大系 「田名部通」の解説
田名部通
たなぶどおり
盛岡藩の地方行政組織三三通の一。
正保四年(一六四七)の南部領内総絵図ならびに同年の郷村帳によれば、田名部通の範囲に属する村は
田名部村を中心に大平村から脇野沢村に至る陸奥湾沿岸を
〔海運〕
田名部七湊とよばれる良港を有し、東廻・西廻海運ならびに松前交易の接合点として船舶が輻湊した。当地の湊はすでに室町末期には開かれていたものという。文禄二年(一五九三)正月七日付の南部信直書状(南部家文書)に「田名部之船役、商人なすましきと申候由承候、御朱印無用に出候者、不及是非候、何とも無御理候者、被取候而可然候、若某之手判出申、商人一両人可出候、其共土産之分ニ可然候」とあり、信直は八戸二郎に宛てて田名部に出入りする商船から船役銭を取立てることを指示している。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報