田宮猛雄(読み)タミヤ タケオ

20世紀日本人名事典 「田宮猛雄」の解説

田宮 猛雄
タミヤ タケオ

大正・昭和期の公衆衛生学者 東京大学名誉教授;国立がんセンター初代総長。



生年
明治22(1889)年1月31日

没年
昭和38(1963)年7月11日

出生地
大阪府大阪市

学歴〔年〕
東京帝大医学部〔大正4年〕卒

主な受賞名〔年〕
西ドイツ十字勲章〔昭和30年〕,勲一等瑞宝章〔昭和38年〕

経歴
生家は土佐藩山内家の典医。大正7年伝染病研究所技師、13年米国、英国、ドイツに留学して医学博士。昭和2年東京帝大教授となり、20年医学部長。24年退官、25年名誉教授。また伝染病研究所所員も務め、19年所長。24年山梨医学研究所初代所長、25年日本医師会会長就任GHQの医薬分業命令に反対して日本医師会会長を辞任したが、27年再選。29年ツツガムシ病研究に米政府から1万9000ドルの援助を受けた。30年西独十字勲章を受章。37年国立がんセンター初代総長。38年学士院会員。同年死去後、勲一等瑞宝章受章。「日本におけるツツガムシ病研究の最近の進歩」という英文著書がある。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「田宮猛雄」の意味・わかりやすい解説

田宮猛雄
たみやたけお

[生]1889.1. 大阪
[没]1963.7.11. 東京
医学者。東京帝国大学医科大学卒業後伝染病研究所に入り,恙虫病 (つつがむしびょう) の病原体を研究。 1927年同大学衛生学教授,44年伝染病研究所所長,45年医学部長となり,第2次世界大戦後の医学教育制度の改革に努めた。 48年,新制日本医師会が誕生した機会に会長となり,62年に設立された国立がんセンターの初代総長をつとめた。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「田宮猛雄」の解説

田宮猛雄 たみや-たけお

1889-1963 大正-昭和時代の公衆衛生学者。
明治22年1月31日生まれ。昭和6年東京帝大教授となり,のち同大伝染病研究所所長。25年日本医師会会長,37年国立がんセンター総長。GHQの医学教育審議会の一員として,インターン制度の創設など医学教育改革にくわわった。昭和38年7月11日死去。74歳。大阪出身。東京帝大卒。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

367日誕生日大事典 「田宮猛雄」の解説

田宮 猛雄 (たみや たけお)

生年月日:1889年1月31日
大正時代;昭和時代の公衆衛生学者。東京大学教授;国立がんセンター総長
1963年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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