田宿(読み)あしたじゆく

日本歴史地名大系 「田宿」の解説

田宿
あしたじゆく

[現在地名]立科町芦田

中山道の宿駅整備にあたり、慶長二年(一五九七)芦田氏の浪人、芦田村の岩間忠祐と茂田井もたい村の土屋右京左衛門が、北原きたはら北林きたばやしの地を開き、古町ふるまちより人戸を移して成立したという(長野県町村誌)望月もちづき宿(現望月町)へ一里八町、長窪ながくぼ宿へ笠取かさとり峠を越えて一里一六町(中山道宿村大概帳)

慶長五年、徳川秀忠上田うえだ城攻めの際にこの辺りは荒らされ、翌年の「前田慶次道中日記」には、

<資料は省略されています>

とみえる。

宿長東西に六町三三間、東は小さな沢を屈曲して渡る自然の枡形をなし、西は笠取かさとり峠に向かって緩やかに登る。天保一四年(一八四三)の書上(中山道宿村大概帳)によれば、人別男一七七人、女一四九人、家数八〇軒、本陣一軒、脇本陣二軒、旅籠六軒で、峠を越した長窪宿に比べて規模は小さく、峠前としての機能はうすかったが、文政年間(一八一八―三〇)の「宿割図」(北佐久郡志)に商家数一一軒とあり、地域の商業的機能を担っていたことがわかる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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