日本歴史地名大系 「田宿」の解説
田宿
あしたじゆく
[現在地名]立科町芦田
中山道の宿駅整備にあたり、慶長二年(一五九七)芦田氏の浪人、芦田村の岩間忠祐と
慶長五年、徳川秀忠の
<資料は省略されています>
とみえる。
宿長東西に六町三三間、東は小さな沢を屈曲して渡る自然の枡形をなし、西は
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
中山道の宿駅整備にあたり、慶長二年(一五九七)芦田氏の浪人、芦田村の岩間忠祐と
慶長五年、徳川秀忠の
とみえる。
宿長東西に六町三三間、東は小さな沢を屈曲して渡る自然の枡形をなし、西は
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
その議会の過半数には達しないが、議席数をもっとも多くもつ政党。...