日本歴史地名大系 「田屋庄」の解説
田屋庄
たやのしよう
田屋・
承安四年(一一七四)一二月日付紀実俊解状案(栗栖家文書)にみえる在庁官人の署名中に「散位忌部宿禰田屋介大夫」とあり、建久三年(一一九二)一二月一日付紀伊国留守所符案(同文書)にも在庁官人として「田屋納所大夫」の署判がある。田屋氏は室町時代に至るまで在地に大きな勢力を保有する。永仁六年(一二九八)二月六日付の田屋安楽寺の坪付注文写(森家文書)に「右件別当職進退田畠等者、親父浄玄之養父故左近入道殿法名西仏房当郷御代官之時、被立置彼免田畠等」とあり、代官職の存在が知られるが、また同注文写の裏書に「堂内之寺役等外者、不可有余公事者也、依於田屋末孫不可有違乱煩者也」とあって、これを記した別当祐聖が田屋一族に連なる者で、彼の父の養父「御代官」の左近入道も一族であったと推測しうる。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報