田岡良一(読み)タオカ リョウイチ

20世紀日本人名事典 「田岡良一」の解説

田岡 良一
タオカ リョウイチ

昭和期の国際法学者 常設仲裁裁判所裁判官;京都大学名誉教授



生年
明治31(1898)年3月28日

没年
昭和60(1985)年5月29日

出生地
高知県

出身地
岡山県津山市

学歴〔年〕
京都帝大法学部政治学科〔大正11年〕卒

学位〔年〕
法学博士(京都帝大)〔昭和15年〕

主な受賞名〔年〕
勲一等瑞宝章〔昭和43年〕

経歴
明治のジャーナリスト田岡嶺雲長男で国際法の権威。敗戦時に一人「ポツダム宣言受諾は、国際法上、無条件降伏ではない」と論陣を張った雄弁家。京都帝大法学部助手を経て、大正13年東北帝大法文学部助教授、昭和5年教授、15年京都帝大法学部教授、25年法学部長、神戸大学教授兼任。35年京大退官、名誉教授、関西学院大学教授。この間、23年、32年日本学術会議会員。39年日本学士院会員、42年から常設仲裁裁判所裁判官を務めた。著書に「国際法学大綱」「国際法上の自衛権」「大津事件の再評価」「国際連合」などがある。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「田岡良一」の解説

田岡良一 たおか-りょういち

1898-1985 昭和時代の国際法学者。
明治31年3月28日生まれ。田岡嶺雲(れいうん)の子。東北帝大,京都帝大,神戸大などの教授をつとめ,この間国際法学会理事長となる。戦時国際法国際平和機構研究につくした。昭和60年5月29日死去。87歳。高知県出身。京都帝大卒。著作に「国際法学大綱」「国際連合憲章の研究」など。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

世界大百科事典(旧版)内の田岡良一の言及

【田岡嶺雲】より

…著書はほかに《嶺雲揺曳》(1899),《明治叛臣伝》(1909),《数奇伝》(1912),和訳漢文叢書《老子》《荘子》《荀子》《墨子列子》等。国際法学者田岡良一は,彼の津山時代の悲恋の相手〈月見草の女〉との間の一子。【阿部 恒久】。…

※「田岡良一」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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