日本歴史地名大系 「田布施郷」の解説 田布施郷たぶせごう 鹿児島県:日置郡金峰町田布施郷阿多(あた)郡の中央部に位置し、南は阿多郷、北は伊作(いざく)郷に接し、西部は吹上(ふきあげ)浜に面している。近世は尾下(おくだり)村・高橋(たかはし)村・池辺(いけべ)村・大野(おおの)村の四ヵ村からなり、鹿児島藩の外城の一つであった。尾下村の亀(かめ)ヶ城(じよう)の西に麓があり、その中心に地頭仮屋が置かれた(三国名勝図会)。諸郷地頭系図には、地頭として文明一八年(一四八六)に伊集院宿久、慶長年中(一五九六―一六一五)に村田経永がみえ、地頭職高は五〇石であった。天正二〇年(一五九二)四月の薩隅日寺社領注文(旧記雑録)によると、田布施の寺社領一三町四反余が上知となり、残されたのは寺付六町六反余であった。寛永一三年(一六三六)の堺目人数・武具注文(旧記雑録)によると当郷の人数二千七〇六。同一六年の衆中高六七三石余(うち寺高一三六石)、衆中人躰一〇九、うち知行取七九・一ヶ所取二八・寺家二(列朝制度)。正徳三年(一七一三)頃の高六千四九二石余、衆中高五七三石余(うち寺高一三六石)、衆中総人数五五七のうち衆中人躰一六六、用夫六一九・野町用夫一八・浦用夫三一(藤井本「要用集抄」)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by