田結浦(読み)たいうら

日本歴史地名大系 「田結浦」の解説

田結浦
たいうら

[現在地名]敦賀市田結

ひがし浦一〇ヵ浦の一。南はかな崎七曲さきななまがりを越えてしみず村、東は越坂おつさか峠を越えて越坂村、西は敦賀湾集落は海岸より七、八百メートル離れた山縁にある。「万葉集」巻三の「角鹿津にして船に乗る時、笠朝臣金村の作る歌一首并に短歌」に、

<資料は省略されています>

とうたわれる。越前国府(現武生市)への途中、敦賀より海路をとった際の歌であろう。

永禄元年(一五五八)六月五日付の善妙寺領目録(善妙寺文書)には「田結村」とみえる。慶長一一年(一六〇六)頃の越前国絵図では赤崎浦高五六一石余に含められるが、正保郷帳では独立村として扱われ、高二四五石余、うち田方が一九九石余の大部分を占める。享保一二年(一七二七)には、庄屋吉兵衛(持高一四石余)、牛馬銀一五匁余、新山手銀九九匁余、島手一五匁、塩高二六三俵余、馬足二九疋、牛七疋、家数三四、うち高持二九・無高三・寺二、塩竈屋八、人数一九九(敦賀郷方覚書)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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