田舎反物(読み)いなかたんもの

日本大百科全書(ニッポニカ) 「田舎反物」の意味・わかりやすい解説

田舎反物
いなかたんもの

江戸時代に京都において、京都以外の地方産の織物をさして田舎絹、田舎反物(端物)などとよんだ。近世初頭以来、金襴(きんらん)・緞子(どんす)をはじめとする紋織、紗綾織(さやおり)などの高級絹織物は、輸入生糸(きいと)(唐糸(からいと))と高機(たかばた)を使用する西陣(にしじん)織物業者しか生産できなかった。しかし18世紀初めころから西陣の技術が地方に伝播(でんぱ)し始め、各地で安価な国産生糸(和糸(わいと))を使用する紋織、紗綾織、縮緬(ちりめん)類が生産されるようになり、18世紀なかばになると、上州桐生(きりゅう)(群馬県桐生市)、丹後(たんご)(京都府北部)、江州(ごうしゅう)長浜(滋賀県長浜市)などから産するそれらの絹織物は京都にも流入して、西陣業者を脅かすに至った。このため西陣織屋はこれらを田舎反物として敵視し、1744年(延享1)には桐生織物における高機使用(紋織、紗綾織)の禁止、さらに田舎反物の京都登せ荷(のぼせに)禁止を幕府に出願した。この願いにより、幕府は同年桐生の新規紋織禁止、田舎反物のこれまで以上の京都登せ荷増加の停止を命じた。このころの田舎反物流入量は年間無地(むじ)丹後縮緬3万6000反、桐生産飛紋(とびもん)紗綾9000反であったという。しかしこれ以後も田舎反物の流入増加はやまず、江戸時代後期の西陣衰退の原因となった。

[村井益男]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

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