桐生織物(読み)きりゅうおりもの

百科事典マイペディアの解説

桐生織物【きりゅうおりもの】

江戸時代から上野(こうずけ)国桐生などを中心に生産された絹織物の総称。12世紀の園田御厨(そのたみくりや)が布30反(たん)を伊勢神宮に納めているように,早くから織物の産地で,1600年の関ヶ原の戦では徳川家康に旗絹を献上したという。17世紀後半の幕府による白糸輸入制限や,18世紀前半の西陣(にしじん)からの染色技法や高機(たかばた)の導入などを契機に高級織物の製織を含めて大きく発展し,江戸・京都をはじめ諸国からの需要があった。これに伴って生産工程が分離・専門化して張屋仲間・織屋仲間・小紋紺屋仲間などが成立し,有力な織屋では自家用作業場をもつようになっていた。19世紀には足利(あしかが)の絹市の開設により大きな打撃を受けた。明治維新後には活況を取り戻し,羽二重(はぶたえ)の国外市場への輸出などが成功を収めたのをはじめ,主要な織物産地であり続けた。

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世界大百科事典 第2版の解説

きりゅうおりもの【桐生織物】

上野,下野,武蔵などの国々は8世紀ころには絹を織り出しているが,桐生織物が広く知られるようになったのは,主たる需要地=都市が発展しつつあった17世紀末以降である。1660年代には京都に生絹(半製品)を移出していて京都との接触もふるく,1720年代には早くも西陣(にしじん)の整理・染色の技法が伝えられた。1685年(貞享2)幕府の白糸(しろいと)輸入制限は上州産生糸を西陣に進出させていっそうその関係が深まったが,それは同時に上州の製糸技術を向上させた。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

桐生織物
きりゅうおりもの

群馬県桐生市および周辺で生産されている織物の総称。桐生は今日、京都の西陣(にしじん)とともに織物の総合産地として有名であるが、その発展の端緒は、1600年(慶長5)の関ヶ原の戦いに、徳川方の旗絹として献上したことである。そして元文(げんぶん)年間(1736~41)に弥兵衛、吉兵衛が西陣から高機(たかはた)をもたらしてからは、急激に発展をみることになる。1783年(天明3)に岩瀬吉兵衛によって、強撚糸(きょうねんし)をかけるための撚糸八丁車が考案されてからは、縮緬(ちりめん)や代表的製品であるお召が織られるようになった。1872年(明治5)には力織機、77年にはジャカード機を西陣から購入するなど、近代技術を導入して、いっそうの発展をみることになった。第二次世界大戦後もミシン刺しゅうなど、輸出向けも含めてさまざまなものを盛んに織り出し、現在に至っている。[角山幸洋]

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