日本歴史地名大系 「田見小路」の解説 田見小路たみこうじ 茨城県:水戸市水戸城下上町田見小路[現在地名]水戸市北見(きたみ)町・大(おお)町一―三丁目北三の丸(きたさんのまる)の西で、堀を隔てて東西に通じる町。町の北は那珂川沿いの低地で、常葉(ときわ)村の根本(ねもと)・風呂下(ふろのした)。「此所昔は大坂横宿と称せしか西町辺より都而大坂と唱へこの小路の辺を横宿と称せしにや」と「水府地名考」にみえる。初代藩主徳川頼房の時代には町の西方より北に向かい風呂下に下る坂を大坂(おおさか)といい、中間より風呂下に下る坂を七曲(ななまがり)坂と称していたが、のち大坂は廃され七曲坂を大坂と改めた。文禄元年(一五九二)佐竹義宣が太田(現常陸太田市)より八幡宮をこの地に移してのちは八幡小路と称し(水府地理温故録)、もっぱら社僧・神官の居住地であった。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報