田辺庄(読み)たなべのしよう

日本歴史地名大系 「田辺庄」の解説

田辺庄
たなべのしよう

荘域は明らかでないが、およそ現田辺市街地にあったと思われる。荘号がみえるのは室町時代に入ってからで、熊野社領であった。「看聞御記」応永二五年(一四一八)四月二四日条に「抑聞、熊野神輿奉振、紀伊国田那辺ニ発向、守護畠山右衛門督入道於此所防戦、然間田那辺ニ神輿振棄、熊野勢二里許引退」とみえ、守護畠山氏に侵犯されたことから、守護勢と熊野衆徒との間で争いが生じている。戦いはこのあと険阻中辺路長尾ながお坂に移り、守護勢は大敗(→長尾坂

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

[名](スル)一定の主義・主張がなく、安易に他の説に賛成すること。「多数派に付和雷同する」[補説]「不和雷同」と書くのは誤り。[類語]矮人わいじんの観場かんじょう・同意・賛同・支持・賛成・雷同・便乗・...

付和雷同の用語解説を読む