日本歴史地名大系 「中辺路」の解説
中辺路
なかへじ
- 和歌山県:総論
- 中辺路
熊野街道紀伊路の田辺から山間部を経て熊野本宮へ至る道。本宮から
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
熊野街道紀伊路の田辺から山間部を経て熊野本宮へ至る道。本宮から
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和歌山県南部、西牟婁郡(にしむろぐん)にあった旧町名(中辺路町(ちょう))。現在は田辺市(たなべし)の中部を占める地域。旧中辺路町は、1956年(昭和31)栗栖川(くりすがわ)、近野(ちかの)、二川(ふたかわ)の3村が合併、町制を施行して成立。2005年(平成17)本宮(ほんぐう)町、龍神(りゅうじん)、大塔(おおとう)2村とともに田辺市に合併。熊野(くまの)街道中辺路が通り、これを町名とした。逢阪(おうさか)(大坂)峠を挟んで富田(とんだ)川と日置(ひき)川上流を占める山村。古道に沿って滝尻(たきじり)、継桜(つぎざくら)など11の王子社跡があり、高原、近露(ちかつゆ)、野中には紀伊藩の伝馬(てんま)所が置かれていた。古道は国道311号となり、逢阪峠はトンネルで越える。そのほか、南北に国道371号が走る。林業とシイタケ栽培などを行う。野中の継桜王子社の獅子舞(ししまい)(1月3日・11月3日)は県指定無形民俗文化財。なお、熊野古道中辺路は2004年に「紀伊山地の霊場と参詣(さんけい)道」として世界文化遺産に登録された。
[小池洋一]
『『中辺路町誌』全3巻(1988~1992・中辺路町)』
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…紀伊水道に注ぐ富田川下流に位置し,中央部を西南に流れる富田川沿いに小低地が開け,紀南地方の穀倉地帯となっている。中心集落の朝来(あつそ)は熊野街道の海岸回りの大辺路(おおへじ)(現,国道42号線)と内陸の中辺路(なかへじ)(現,国道311号線)の分岐点で,古来交通の要地であった。国道42号線に並行して紀勢本線が走る。…
…とくに上皇の熊野参詣は回数が多く,後白河上皇は34回にも及び,後鳥羽上皇は平均10ヵ月に1度という頻度である。1090年(寛治4)の白河上皇の最初の参詣に園城寺の増誉が先達をつとめ,その法系が代々熊野山検校に補任されたため,険阻な中辺路(なかへち)を通って本宮,新宮,那智の三山をめぐるルート(京都から往復20日~1ヵ月の行程)がこれ以降公的なものとされて一般化した。一方,上皇や貴族の高野参詣は,熊野詣に比して回数が少ないが,仁和寺の覚法法親王のごとく,一度登山すると長期にわたって参籠を続けた人物もあった。…
…また道中の渡河点や海辺ではみそぎの場所が定められ,藤代に一鳥居,滝尻~本宮間に三百町率塔婆,発心門に大鳥居が立っていたという。この道筋は古くは紀路,鎌倉時代には熊野大道といわれ,のちには御幸道とか小栗(おぐり)街道の名があり,また田辺から奥を中辺路(なかへじ)と称している。熊野信仰熊野詣【戸田 芳実】。…
…富田(とんだ)川と日置(ひき)川沿いにわずかな低地があり,集落が点在する。平安時代より熊野詣での重要ルートであった熊野街道中辺路(なかへじ)が通じており,現在,〈歴史の道熊野古道中辺路〉として整備され,それに並行して国道311号線が通る。農林業が基幹産業で,良質の杉,ヒノキ材を産出する。…
※「中辺路」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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