甲津畑城跡(読み)こうづはたじようあと

日本歴史地名大系 「甲津畑城跡」の解説

甲津畑城跡
こうづはたじようあと

[現在地名]永源寺町甲津畑

和南わなみ川左岸の現甲津畑小学校一帯が城跡とされる。規模や遺構は不詳だが、小学校所在地を主郭跡とし、北西浄光じようこう寺・浄源じようげん寺辺りまで城域が広がっていたと考えられる。城主は六角氏家臣速水氏で、伊勢へ通ずる千草ちぐさ越を押えていたのであろう。速水氏は在所の一字をとり畑と称することもあった。永禄二年(一五五九)九月五日千草越の根の上で保内商人が他商人の木綿二駄を没収。これに対し畑勘解由左衛門尉の被官落合ノ木戸ら三名が一貫文を保内に持参して謝罪した。翌三年一〇月一〇日には三河商人の木綿荷が保内に没収され、この時には勘解由左衛門尉が三河商人の依頼により保内に謝罪している(同年一一月九日「保内商人申状案」今堀日吉神社文書)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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