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甲賀源吾 こうが げんご

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

甲賀源吾 こうが-げんご

1839-1869 幕末の武士。
天保(てんぽう)10年1月3日生まれ。遠江(とおとうみ)(静岡県)掛川藩士。幕府の軍艦操練所でまなび,慶応4年(1868)軍艦頭並となり,回天艦長。江戸開城に際し,榎本武揚(たけあき)にしたがい箱館へ脱出する。明治2年3月25日宮古湾で新政府の軍艦と交戦中に戦死。31歳。名は秀虎。

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朝日日本歴史人物事典の解説

甲賀源吾

没年:明治2.3.25(1869.5.6)
生年:天保10.1.3(1839.2.16)
幕末の幕臣。掛川藩士甲賀秀孝とやすの子に生まれる。本名は秀虎。安政2(1855)年江戸に出て蘭学と航海術を学んだ。同6年幕府の軍艦操練方手伝出役に任じられ,文久1(1861)年軍艦組出役,慶応2(1866)年奇捷の艦長などを経て,明治1(1868)年軍艦頭並となる。同年8月,榎本武揚らが旧幕府艦隊を率いて品川沖を脱出した際,回天の艦長として参加し,箱館を占領した。翌2年3月,宮古湾に集結していた政府軍の艦隊を攻撃する作戦に,旗艦回天の艦長として出撃,同湾内の戦闘で政府軍の甲鉄艦より発射された弾丸に当たって戦死した。<参考文献>石橋絢彦『回天艦長甲賀源吾伝』

(長谷川伸三)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
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世界大百科事典 第2版の解説

こうがげんご【甲賀源吾】

1839‐69(天保10‐明治2)
江戸末期の幕府軍艦方。諱(いみな)は秀虎,源吾は通称。掛川藩士の家に生まれ,江戸に出て蘭学と航海術を学び,1859年(安政6)幕府の軍艦操練方手伝出役に就任した。61年(文久1)軍艦組出役,66年(慶応2)の奇捷丸船将などを経て,戊辰戦争下の旧幕府軍の軍艦頭並となる。榎本武揚に従って江戸湾を脱出し,回天の船将として北海道へ向かったが,開陽丸沈没後は回天が旗艦であった。69年宮古湾の新政府軍艦船と戦い戦死した。

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