甲賀源吾(読み)こうがげんご

改訂新版 世界大百科事典 「甲賀源吾」の意味・わかりやすい解説

甲賀源吾 (こうがげんご)
生没年:1839-69(天保10-明治2)

江戸末期の幕府軍艦方。諱(いみな)は秀虎,源吾通称。掛川藩士の家に生まれ,江戸に出て蘭学航海術を学び,1859年(安政6)幕府の軍艦操練方手伝出役に就任した。61年(文久1)軍艦組出役,66年(慶応2)の奇捷丸船将などを経て,戊辰戦争下の旧幕府軍の軍艦頭並となる。榎本武揚に従って江戸湾を脱出し,回天の船将として北海道へ向かったが,開陽丸沈没後は回天が旗艦であった。69年宮古湾の新政府軍艦船と戦い戦死した。
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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「甲賀源吾」の解説

甲賀源吾 こうが-げんご

1839-1869 幕末武士
天保(てんぽう)10年1月3日生まれ。遠江(とおとうみ)(静岡県)掛川藩士。幕府の軍艦操練所でまなび,慶応4年(1868)軍艦頭並となり,回天艦長。江戸開城に際し,榎本武揚(たけあき)にしたがい箱館へ脱出する。明治2年3月25日宮古湾で新政府の軍艦と交戦中に戦死。31歳。名は秀虎。

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367日誕生日大事典 「甲賀源吾」の解説

甲賀 源吾 (こうが げんご)

生年月日:1839年1月3日
江戸時代;明治時代の幕臣
1869年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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