町原村(読み)まちわらむら

日本歴史地名大系 「町原村」の解説

町原村
まちわらむら

[現在地名]津奈木町小津奈木(こつなぎ)

東は桜戸(さくらど)村、南は小津奈木村に接する。西は津奈木湾に面していたが、江戸時代に白(しら)ヶ浦が干拓され、さらに昭和四一年(一九六六)その前面に男(お)島を取込んだ津奈木干拓が造成された。寛永一八年(一六四一)の津奈木村小村切高物成人畜御帳(徳富文書)に「津奈木村内町原村」とあり、高五一石余、田数一町九反三畝余・畠数一町三反一畝余、真綿一二匁・茶二三〇匁、女七・男二一、馬一が記される。


町原村
まちばらむら

[現在地名]小国町町原

岩井沢(いわいざわ)村の南、横(よこ)川右岸に位置。近世初期の邑鑑に村名がみえ、高一一一石余、免二ツ三分、家数一〇(うち役家二・肝煎一)・人数六三、役木として漆・桑をあげる。蒲生氏高目録帳では村柄は下、修正前の高一二二石余。元禄一五年(一七〇二)の変地帳(上杉家文書)では東方の松岡(まつおか)村を枝村としてあげる。上杉領村目録によると高六一九石余、本免一ツ九分三厘三毛余。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

菊の節供,九月節供,重九 (ちょうく) ともいう。五節供の一つ。旧暦9月9日の節供で,奈良時代より,宮中では天皇が紫宸殿に出御し,群臣に宴を賜わり詩歌文章をつくらせる菊花の宴が行われ,年中行事となった...

重陽の用語解説を読む