小津奈木村(読み)こつなぎむら

日本歴史地名大系 「小津奈木村」の解説

小津奈木村
こつなぎむら

[現在地名]津奈木町小津奈木

小津奈木川沿いの南北に細長い村。津奈木手永に属し、北は町原(まちわら)村、西は水俣手永の小津奈木村(現水俣市)に接する。歌(うた)坂を越えた薩摩街道が当村を通り、熊本からの二十二里木があった。寛永一〇年(一六三三)の人畜改帳に屋敷数一七、女二〇・男二九、うち頭百姓一、馬二・牛七が記される。同一六年の葦北郡地侍御知行割帳(徳富文書)に地侍二人がみえ、同一八年の津奈木村小村切高物成人畜御帳(同文書)に高一一三石一斗余、田数五町三反九畝余・畠数一町四反七畝余、女一七・男三三、うち小庄屋一・地侍二・郡筒一、馬四が記される。正保三年(一六四六)の津奈木内小村切人畜改御帳(同文書)には女二四・男三八、うち郡筒三、馬七とある。


小津奈木村
こつなぎむら

[現在地名]水俣市小津奈木

小津奈木川の沿岸にあり、西に大迫(おおさこ)村、南に下初野(しもはつの)村、東に石神(いしがみ)村、小津奈木川の東には津奈木手永の小津奈木村(現葦北郡津奈木町)がある。すなわち小津奈木川の東部が津奈木手永の小津奈木村、西部が水俣手永の小津奈木村であった。慶長国絵図に高五三四石余とある。寛永一〇年(一六三三)の人畜改帳に「水俣内」として村名がみえ、田畠高五三四石余、屋敷数二八、男一〇〇・女七四、牛一〇・馬六をあげるが、これは上初野(かみはつの)村・下初野村・大迫村・早栗(わさぐり)村・石神村などを含む数で、小津奈木村だけでは屋敷数八、男二六・女一六、牛三・馬五である。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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